輝く時間

あの日を胸に今日も生きている

執着は『好き』とは違う

 

 

救われる。

 

私はずっとずっとV6が好き。

 

でも、三宅健がTOBEに行ってしまってから、V6をほんとに好きだったのか自信がなくなってしまった。

1人事務所変わったくらいで、6人を純粋な気持ちで見られないのか。

あんなに好きだったのに。

もう解散してるんだから、個人の自由なのに。

なんで、なんで、私はそれを受け入れられない?!

 

悩みすぎて、三宅さんのソログッズである、プピコンペンライトやうちわは、一時期投げ捨ててしまいたい衝動にかられた。

 

いまは、もうだいぶん落ち着いてる。

 

それだけ好きだったんだなって、自分を認めることにした。

そして、今現在は、もう、そこまでの想いはないことも、認めることにした。

 

 

いや、もう想いじゃなくて、執着だもん、コレ。

執着はダメだ。

 

認めたら、スッキリしたよ、本当に。

プピコングッズは、丁寧に引き出しにしまいました。

いままでありがとうねって心の中で唱えながら。

 

恋人をストーカーしたり、極論殺したりっていうの、心理的には、私は分かる。

(でも、やっちゃいけません、絶対。犯罪です)

愛と憎しみは、本当に紙一重だから。

 

適度な距離感持っていこう。

常に好き、じゃなくていいんだ。

嫌いになってもいいし、また復活ラブしてもいいんだ。

 

気づかせてもらってありがたい。

 

Twitterって、本当にこわいところで、一瞬にして、常識人を狂人にしてしまう巣窟だけど、ときどきこんなふうに、浄化された清水が湧いている。